陶の里の村人

堺市陶器の村に住んでいるブログ主のきままな記事です。稀にめちゃめちゃためになることを書きます。

陶器の鳴り物の歴史

 私がきいた限りでは、というより普通に考えれば当たり前ではあるが、昔は均等打ちのみの鳴り物で鉦と笛はなかったと聞いている。

 

タンタタン「・ ・・」といういわゆる岸和田拍子を取り入れたのは最近の話であると私は年配の方から聞いた話で認識している。

 

おそらくこれは多くの堺市の地域では同じであると思われる。

 

正確にいつごろから取り入れたのか私の中で定かではないが、私の村の現だんじりの新調時平成4年前後に岸和田の旧市に鳴り物を見学しにいった(教えてもらいに行った)と聞いた。

 

実際わたしの村の大太鼓の鳴り物は、ある年齢の線引きを境に少し異なると感じている。

 

旧市のどこに行ったのかは知らないが、実際、陶器の鳴り物では浜の太鼓によく似た手数の多い鳴り物が多い。(だがこの手の鳴り物は泉州全域で広く確認することはできる)

 

私はその当時の岸和田旧市の鳴り物がどんな物であったかは、知らないが平成15~18年の岸和田の祭当日の音源は聞いたことがある。

(森田 玲 「岸和田祭音百景 平成だんじり見聞録」2007)

 

私はこの音源を数年前に初めて聞いたときのな感想は今でも覚えている。

・速い均等打ち(きざみ)が現在とは異なって連続的である。

現在の多くの地域のきざみは

・・・ | ・・・ | ・・・と行った具合だが

この当時のきざみは私には

・・・|・・・|・・・と感じられた。

より走ることに合わせた鳴り物に変わってきたのだろうか。

これは余談ではある。

 

これについてはさておき、一番の率直な感想は陶器に似ているということであった。

ようは一昔前の岸和田の鳴り物があまり変化することなく陶器に残っているということである。

 

著者はこの時点で岸和田では素早い拍子の切り替えが発展してきていると仰っている。

これ以降現在ではさらに素早い切り替えが進化している。これはおそらく、曳き手の鼓舞などにおいて走ることに合っているからだろう。

(切り替えが速すぎて味気がないのは非常に悲しい限りであり、さらに一つ一つの拍子のスパンが短いうえに大太鼓の旋律が単的になっているのも趣がない、だがいつも同じ旋律で鼓舞される方が走りやすいのかもしれない。)

 

だが陶器では走ることに特化していないので、そんな鳴り物の進化の必要はなく、切り替えは(聞こえが悪いが)素早くない。

同じ拍子を長くたたく。

 

またいくつかの村では休憩中に鳴り物を止めなかったり、祭初日の早朝から鳴り物をたたき続けるということが未だに残っている。岸和田では昭和時代には食事休憩中も鳴り物を止めなかったようである。私の村では今も食事休憩中も鳴り物は止めない(一応)

 

というように一昔前の岸和田の鳴り物がベースで鳴り物が成り立っている。

 

私はこれについてはそんなに良くは思っていないので、岸和田の鳴り物をパクる以前の鳴り物を知る方に何度か鳴り物練習中に鳴り物を叩いてもらったが全く分からなかった。またそのような鳴り物をたたける方は今となっては少ない。もう何年も前にたたいていた方ばかりなので、当時相当腕が立った人でないとなかなか覚えていらっしゃらないのが現実である。

 

「伝統、歴史」の二文字とはあらゆる事情が複雑に絡んだ非常に難しい二文字である。