勝者なのか?
10月も3週目に入り、大阪のだんじり祭りの大半が終わった。
今年はご存知の通り、だんじりを出さない団体もあり、だんじりを曳く団体もあり、だんじりを出して寄るだけの団体もあったわけだ。
だんじりのために集まってクラスターが起きたなどなど問題は起きてはいないようだ。(もちろん発生したが隠している可能性もあるが、一般的に発生してはいないようだ。)
それはそうだ。やる前から自明であった。
だんじりを一切出さない。集まらない、出すだけなどで今年を終えたことは果たして正解だったのだろうか。
そもそもいつ死ぬかわからないというリスクを背負ってだんじりを曳いてるわけだ。
でもみんなだんじりに参加し見物に行くわけだ。
我々はいつ車が突っ込んできて死ぬかもわからないが、普通に道を歩くし、いつ墜落するかもわからないのに飛行機に乗る。
それは「死」という最悪の被害が待ち受けているが、その発生確率は極めて低い故である。
ここ数年のだんじりの死亡数を考えれば、極めて低いと言えないかもしれない。死亡確率は低いが、割と普通に人が亡くなっている。
つまりは、だんじりを通して受ける死のリスクは受容できるリスクだから、我々はそれに左右されることなく参加するわけだ。
リスクは学術的に
被害の甚大さ×発生確率
で考える事が多い。
果たしてコロナ感染、またはコロナ感染による死のリスクは受容できないほどのリスクだったのだろうか。
また祭礼当日にだんじりを出し、だんじりに「武漢肺炎収束祈願うんぬん」と掲げている地域もあったようだが、covid-19の発生の原因が化学的にも公にも分かっていないにも関わらず、勝手に武漢肺炎などと名付けているのは、ネット上の化学リテラシー、情報リテラシーの双方が著しく欠如している一部の人間だけである。この言い方をしている人間の大半はcovid-19が中国政府が故意に流しているというような主張を持っているが故に、その言葉をだんじりに掲げると言うことは、その団体は中国にcovid-19の責任を押し付け、強い反中国思想を持っていると考えられる。
現段階のcovid-19発生については推定である時点でこのような主張をすることの恥ずかしさを知らぬのである。
また世間の目を気にして祭礼を縮小したということもあるようだが、木の塊を神道の神事の名の下に引きずり回して中身の人間は大半が神道など信仰してもいない。こんな馬鹿げたことをしているのに、今更誰からの目を気にする必要があるのか。初めから我々は、他人から見てこの上なく馬鹿げたことをしているのである。
世間の目については余談ではあったが、時代が変わり続ける現代において、だんじり祭も人と同じように、昔のままではいられないのである。生きていけないのである。だんじりが生き残って行くためのステップアップの過程では必ず、科学リテラシー、情報リテラシー、確かな状況判断がより高度に必要になっていくであろう。
今年だんじり祭をするべきだという意見も聞いてみよう
今年の祭の中止や曳行自粛の発表がある中、今年は祭はしない方がいいという意見はsnsその他メディアでもいくつか見てきた。
だが今年祭は絶対にやるべきだという意見もあるのも事実である。
ではそんな意見も聞いてみようではないか。
ということで今年祭をした方がいいという意見の内容を紹介しよう。
もちろん地区によって置かれた状況は様々である。
メディアにすぐにさらされる地区もあれば、そうでない地区もあり全てにおいてあてはまるわけではない。
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仮に今年一切の曳行を中止しだんじりを出さずに、神事だけを行った場合来年の祭はどうなるのかということである。
果たして、来年、再来年に本当にコロナウイルスは流行していないのだろうか。
他の疫病、ウイルスは流行していないのであろうか。
そんなことは誰にも分からない。
その上であらゆる可能性が考えられる。祭の存続の観点から考えた最悪の事態は、ウイルスと人間が今後共存していくような時代になることである。
ウイルスは簡略な構造をしており、その分ミスが生じることも多いが急激な増殖、進化が可能である。
インフルエンザウイルスもこのように毎年進化しながら流行する。
ではコロナウイルスが進化しながら私たちと共存するようになった場合に、今年だんじりを出さなっかたら、それはつまり来年も一切だんじりを出さないのであろうか。
再来年も5年後もだんじりを曳かないのであろうか。
現在のだんじりは時代に合わして進化してきた、少子化、都市部へ移り住む若者の増加による曳き手の減少にも他所から曳き手を募ることで乗り越えてきた。
今ここでだんじり祭を中止するのは単なる思考放棄とも言えよう。
この程度の山を、時代の変わり目を乗り越えられないのでは、だんじり祭の未来も浅いであろう。
今後あらゆる課題がだんじり祭には訪れるはずである。
時代に合わせた変化をしていかなければ、村から人が消える日もやってくるかもしれない。
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岸和田市 上町 だんじり
以前入魂式の際にじっくりと見る機会がありました。
彫り物、姿見、組み物などあまり詳しく知らないですが、数だけはかなり多く見てきました。
ですがなんとなく
このだんじりがええだんじりやとよく言われる理由が分かったような気がしました。
90年ほど前に彫られたと思えないほど繊細で、隅々の雑兵にまで凝っているように感じました。
サイズ感というか、体の部位、武器の大きさの比が最近の彫り物と少し異なる気がします。
この感じの方が彫り物たらしめているように感じます。
最近は斬新なデザインにすることや色を変えることも良くありますが、たしか記憶が正しければ、交差旗、後旗など同じデザインで新調。
最後のパーツである化粧まで町の方々によってこだわり抜かれた味のあるだんじりでした。
ちょっとだけカメラの話
現在はこれと1dx2(貸し出し中)のみ。ですが1dx2があまりに重いので売りたい......
あの連写速度が必要なことが多いですし、信頼性抜群ですが、あまりに重い。
R5は軽そうですがどこまでやれるのか不明....
様子見ですね....
他用途でステージを撮影したり、ストロボを使えない場面での動体撮影などが多く、現在の機材に至りますが、最近はこの世の中でもちろんだんじりの入魂式なんかもなく、使用頻度がかなり低くてかわいそうです。海外での撮影も多かったのですが、今は全くないです。
とはいえ入魂式では依頼されたときやブログに載せたい時以外は持ち出さないですね....
邪魔です....
iphoneで十分なので....
私はいつもだんじりを撮るためにカメラを買う相談を受けた時にはiphoneをオススメしています...
身をもって邪魔なのを体験しています。
ですがこれだけ期間が空いたので次にだんじりが撮影できる機会があれば持ち出そうと思います。
早くそんな日が来ますように,,,,,,,
陶器の鳴り物の歴史
私がきいた限りでは、というより普通に考えれば当たり前ではあるが、昔は均等打ちのみの鳴り物で鉦と笛はなかったと聞いている。
タンタタン「・ ・・」といういわゆる岸和田拍子を取り入れたのは最近の話であると私は年配の方から聞いた話で認識している。
おそらくこれは多くの堺市の地域では同じであると思われる。
正確にいつごろから取り入れたのか私の中で定かではないが、私の村の現だんじりの新調時平成4年前後に岸和田の旧市に鳴り物を見学しにいった(教えてもらいに行った)と聞いた。
実際わたしの村の大太鼓の鳴り物は、ある年齢の線引きを境に少し異なると感じている。
旧市のどこに行ったのかは知らないが、実際、陶器の鳴り物では浜の太鼓によく似た手数の多い鳴り物が多い。(だがこの手の鳴り物は泉州全域で広く確認することはできる)
私はその当時の岸和田旧市の鳴り物がどんな物であったかは、知らないが平成15~18年の岸和田の祭当日の音源は聞いたことがある。
(森田 玲 「岸和田祭音百景 平成だんじり見聞録」2007)
私はこの音源を数年前に初めて聞いたときのな感想は今でも覚えている。
・速い均等打ち(きざみ)が現在とは異なって連続的である。
現在の多くの地域のきざみは
・・・ | ・・・ | ・・・と行った具合だが
この当時のきざみは私には
・・・|・・・|・・・と感じられた。
より走ることに合わせた鳴り物に変わってきたのだろうか。
これは余談ではある。
これについてはさておき、一番の率直な感想は陶器に似ているということであった。
ようは一昔前の岸和田の鳴り物があまり変化することなく陶器に残っているということである。
著者はこの時点で岸和田では素早い拍子の切り替えが発展してきていると仰っている。
これ以降現在ではさらに素早い切り替えが進化している。これはおそらく、曳き手の鼓舞などにおいて走ることに合っているからだろう。
(切り替えが速すぎて味気がないのは非常に悲しい限りであり、さらに一つ一つの拍子のスパンが短いうえに大太鼓の旋律が単的になっているのも趣がない、だがいつも同じ旋律で鼓舞される方が走りやすいのかもしれない。)
だが陶器では走ることに特化していないので、そんな鳴り物の進化の必要はなく、切り替えは(聞こえが悪いが)素早くない。
同じ拍子を長くたたく。
またいくつかの村では休憩中に鳴り物を止めなかったり、祭初日の早朝から鳴り物をたたき続けるということが未だに残っている。岸和田では昭和時代には食事休憩中も鳴り物を止めなかったようである。私の村では今も食事休憩中も鳴り物は止めない(一応)
というように一昔前の岸和田の鳴り物がベースで鳴り物が成り立っている。
私はこれについてはそんなに良くは思っていないので、岸和田の鳴り物をパクる以前の鳴り物を知る方に何度か鳴り物練習中に鳴り物を叩いてもらったが全く分からなかった。またそのような鳴り物をたたける方は今となっては少ない。もう何年も前にたたいていた方ばかりなので、当時相当腕が立った人でないとなかなか覚えていらっしゃらないのが現実である。
「伝統、歴史」の二文字とはあらゆる事情が複雑に絡んだ非常に難しい二文字である。
陶器だんじり祭の鳴り物
陶器のだんじりの鳴り物は現在一般的な泉州の鳴り物とは実は少し違う。なにも考えずに聞くと変わりはないと思えるかもしれない。
基本的に陶器のだんじりは、綱こそ現在は2本ついていてあたかも泉州くさいが、やいそれ走れ走れというスタイルではない、普通に歩いている。
全く走らないわけでもないが
しっかり両手で綱を持って足をかいて走るわけではない
陶器のメインとなるだんじりの動きは、だんじりのけつ、頭を上げながらゆっくりと回ることである。
その間の鳴り物は速い均等打ちだ。
だが現在の岸和田のように、刻むような速い均等打ちではなく、連続的な均等打ちである。
それはまるで鳴り物というより音楽のようだ
陶器で大太鼓を叩く人の多くは、数あるうち方を組み合わせて聞いていても飽きないような旋律を心がけるとよく言う。
それもそのはずで例えば宮入はだいたい一台10分ほどの時間があり、村にもよるがその間ずっと速い連続的な均等打ちをすることもある(陶器では3番と言われることが多い)
その中で大太鼓は強弱をつけながら聞き手を飽きさせない
ぜひ興味のある方はYouTuberで聞いてただきたい。
次回はそんな鳴り物の歴史について書きたいと思う
陶器だんじり祭は変わらない?
はっきり言うと基本的に陶器の旧村のだんじり祭は岸和田のだんじりの真似にも、河内のだんじりの真似にも走っていない
正確な村の名前は伏せる。
旧村のだんじり祭では一部やりまわしのような(?)ことをするぐらいだ。
とは言っても坂道だらけで、道が狭い陶器の地域ではやりまわしできるような道はごくごく限られた数カ所だけで、一日に数回しかしていない。
もちろんやりましの二番煎じを一切しない村もある。
一部ここ数年で鳴り物の切り替えが、近年の岸和田スタイルのように進化しているところもある。
鳴り物の切り替えについては、基本的にここ数年まで、一昔前の岸和田のだんじりのように一切進化していなかった。
陶器の特異的な鳴り物については別で記事を書く。
だが上記のようにやりまわしに走りたいかのような空気も一部存在するのは事実だ。
なにせ道が狭くアップダウンが激しい。やりまわしなんてする場所がないのだ。
だが陶器の道が広くやりまわしがどこでもできる状態であれば、今頃半分程度または一部だんじりが「そーりゃ」とかけ声をしている可能性は大いにある。
また近年どこのだんじりでも問題になっている、少子化などの影響による曳き手の減少が陶器では顕著に著しい。
綱元に青年団2,3人で曳いている村もある。
走れるはずがない。。。。。
などなど実際に岸和田スタイルのだんじり祭をしたいと思っているかどうかはわからないが、したくてもできないのは明らかで、今後もその状況は変わらないだろう。
それに私個人も祭のスタイルを変える必要は一切ないと思っている。
せっかく我が村のスタイルのだんじり祭があるのに、よその真似の後進的な祭なんかきっと楽しくないだろう。
真似したところでどうせ本家の劣化版にしかならないだろう。
自分の村に祭りに誇りを持つのも重要なのではないか