残したい大阪・泉州・堺の景色
泉州地域にはたくさんの昔ながらの景色がある。
お城、城下町、田園風景、少し新しいものでは商店街などに並ぶお店の数々。
他にも泉州地域にお住まいの方には自慢できるような地元の風景が多くあるだろう。
私の住む陶器には大きく田園風景が広がっている。
私にとっては家の前に広がる田園風景は今後何年も残り続けて欲しい景色であり、非常に美しく癒やされる景色である。
だがここ10年で少しずつこの景色は小さくなってきている。
私はいつも田園風景が減る度に少し寂しく思う。
この財産を残していくのは容易ではない。祭りがある泉州地域では、地元に帰って来てくれる人は他の地域と比べると多い。
だが現代では多くの若者は大学に行く。そして大阪以外の地で働くことが増えている。また少子化で若い人は少ない。
泉州の田園風景には跡継ぎがいないのだ。
はたしてだんじり祭の跡継ぎは本当に存在するのだろうか。
あなたのだんじり祭の景色が小さくなる日も近いかもしれない。
陶器のだんじり祭の紹介 その2 <悲しい地域>
陶器だんじり祭を紹介するにあたり、陶器の歴史の紹介は避けては通れないと考えている。
陶器だんじり祭は堺市中区の陶器と呼ばれる地帯で行われている。
古墳時代には、陶器川周辺を中心に現在の大庭寺、高倉寺あたりまでの地帯(陶邑すえむら)で須恵器が盛んに生産されていて、一大産地となっていたと言われている。
陶器の地名の由来はそこからきている。
同地域は茅淳県陶邑(ちぬのあがたのすえむら)として日本書紀にも登場する。
また陶器だんじり祭で宮入が行われる陶荒田神社も古事記、日本書紀に関連事項が登場する。
実はなかなか歴史が深い地域である。
ちなみに延喜式神名帳では陶荒田神社は和泉国大鳥群鎮座と記されており、史実によると陶器は大鳥群に属している。
大鳥群は和泉国に属しており、和泉国の別名を泉州というらしい。
現在だんじりに参加している人々が扱う「泉州」がいったい何を指すのか私は知らないが、いわゆる陶器の地区自体は泉州に含まれると認識している。
堺のだんじりをどこかに定義するならば、明治29年の堺の大喧嘩以降なくなってしまっただんじりのことを指すのが合理的だと私は思う。
だが今日、泉州と堺は分けられることが多い。
一時堺県として堺県として独立していたことが嫉妬されているのだろうか?(ちなみにその堺県には泉州一体が含まれている。)
今日において堺のだんじりとは、わざわざ分けるのであれば堺市のだんじりと言うのが適切だろう。
わざわざ堺市のだんじりだけを分ける必性はないとは思うが。。。。
これまでのことについては、特に問題はないのではあるが、今日では「泉州・堺だんじり」という類いの題名でDVDがいくつか発売されているようだ。
私は視聴したことはないが、これに陶器だんじり祭は一切収録されていないと聞いている。
....................
一体どういうことなのだろうか。。。。
はっきり言って失礼である。
陶器地区は泉州の地域でも堺の地域でもないという思考なのであろうか。
陶器地区は堺市に属しており、和泉の国(別名泉州)に属していた。
収録しないのであれば、本DVDの趣旨に反する、陶器地区は歴史的に堺でも泉州の祭りでもないなど、一言書いたほうが良いのではないか。
それか「やりまわしをするだんじり集」に改名することをおすすめする。
日本紹介DVDで鹿児島県だけ紹介されなかったら普通は鹿児島県民は激怒すると思いますが、、、、
陶器のだんじり祭は今日において堺と泉州から排除されてしまった非常に悲しい地域である。
泉州とは一体何なのだろうか?
岸和田だんじり祭り 試験曳きのオススメの見物コース
岸和田旧市の祭り、メディアで言われる岸和田だんじり祭は二回試験曳きが行われます。
本祭の前週または前々週の日曜日と本祭前日の金曜日の二回です。
時間はいずれも14時から16時の2時間
本番と比べて関東などの遠方から来る見物人の方は少ないので、ゆっくり見たい方にはおすすめです。
金曜日は特にガラガラです。
要は人が少なくて見やすいわけです。
そんな試験曳きのオススメの周り方!
始まる30分前で十分です。
開始後すぐにだんじりがラッシュでやってきます。
和歌山方面から上町、南上町がやってくるとラッシュは終了です。
そのころにはだいたい14時15~20分ほどになっているはず。
その次はやりまわしを見たい場合は、堺町のS字、らんかん橋、武部の仏壇屋、大北町交差点、武部の仏壇屋、北町交差点がありますが、オススメは堺町のSか、らんかん橋です。どちらも人が多いですが疎開道から近いです。昭和大通りを横断して反対側に行くのは少々遠いです。
ゆっくり見たい場合はらんかん橋の少し海側がオススメです。
オススメしている場所はできるだけだんじりがたくさんやってくる場所を優先しています。
その後15時15~30分頃到着を目指して商店街へ行くと、商店街近辺や駅より山手のだんじりが帰ってきます。
2,3台のだんじりはヤングレコードの前でやり回しを数回してから帰るので最後にそれをみるのがオススメです。カンカン場周辺に見物に行っている方が多く、比較的見やすいです。
最後に宮本町が駅前でUターンして商店街を逆走してきたら、試験曳きも終了です。
目の前の岸和田駅から帰りましょう!!!
陶器だんじり祭の紹介 その1
何を隠そう私の地元、堺市陶器地区。
魅力だらけの陶器だんじり祭
そんな陶器のだんじり祭の紹介第一弾!!!!
私の村の祭りの始まりは、初代だんじりは明治14年(1881年)から曳行。
さばを読んで今からおよそ150年前。聞いた話では同地区の北村がもう少し早くからだんじりを曳いてたとか曳いていなかったとか?(途中休止期間あり)
現在陶器10町連合が存在し、その中に6町連合と4町連合が存在。
上之、辻之、北村、田園、高倉寺、鴬
が6町連合
これが陶器のだんじりのスタイル。
似たスタイルのだんじり祭はいまではなかなか見られない。
上神谷地区の泉田中がかなり似ているが、同地区の他のだんじりは全ていわゆる岸和田のスタイル。
全て上だんじりで拡声器をつけているが基本的に、曳き唄のようなものは歌わない。
農兵節や伊勢音頭を歌うことは一部ある
「ほ(お)いさ」
「そらよいと(こ)まかせ」「そらよいよいよい」
「そら○○じゃい」「そらよいよいよい」
を基本として大工方とひな壇の団長が拡声器で声を掛け合い、曳き手もそれに合わせる。
鳳地区の新在家の夜の曳行が少し似ている。
つじつじでやりまわしをするわけではなく、ゆっくりとだんじりを曳き、担い棒と後ろ梃子を使って前上げ、けつ上げをしながらゆっくりとだんじりを水平方向に回転する。
一昔前では陶器だけではなく、堺市の多くの地域、さらには堺市より南の地域でもこのスタイルが多かったと聞いている。
つまり陶器では一昔前の、岸和田のスタイルに多くの地域が移行していく前のだんじり祭の姿が残っていると言える。
そう考えると、なぜ陶器では岸和田のスタイルに移行していかなかったのか、なぜ他の地域では岸和田のスタイルを取り入れていったのか、非常に興味深くなって来たではないか
だが決して陶器が完全に独自のだんじり文化だけで今のだんじり祭が成り立っているわけではない。部分的に岸和田のスタイルを取り入れている
実はこのある意味不思議な(そう思っている方も多いだろう)様態の陶器のだんじり祭を紐解いていくと、自然とだんじり祭の移り変わりを知り、興味を持つことができる。
岸和田、泉州、堺市、陶器のだんじり祭にいったい何が起きたのだろうか?
次回に続く.......
岸和田だんじり祭 9月祭礼 曳き出し どこで見るの? 商店街編
結論。曳き出しでオススメのポイントは商店街です。ヤングレコードよりも海側、入り口近くで見ましょう。高確率でそこそこ本気で走ってくれます。
いいところ
その①
前町やって来る。
その②
だいたいの町が走ってくれる。
その③
安易に場所を取れる。一時間前に行けば余裕で見れます。下手すれば30分前で余裕かも。
※全町くるのは本祭の曳き出しのみです。
皆さん駅前のやりまわしが見たいようで、だいたいの人が駅前に行きます。だんじりが右にも左にも行くし、正面では絶対に見れないし、人が多いし最悪です。そもそも駅前のやりまわしは見所ではないです。基本どこも流して行くと思っておきましょう。
ゆっくり歩いてるだんじりを見たい方は駅前よりのポジションがいいかもしれません。