陶の里の村人

堺市陶器の村に住んでいる、ブログ主のきままな記事です。ときにめちゃめちゃためになることを書きます。

陶器だんじり祭の紹介 その1

何を隠そう私の地元、堺市陶器地区。
魅力だらけの陶器だんじり
そんな陶器のだんじり祭の紹介第一弾!!!!

私の村の祭りの始まりは、初代だんじり明治14年(1881年)から曳行。
さばを読んで今からおよそ150年前。聞いた話では同地区の北村がもう少し早くからだんじりを曳いてたとか曳いていなかったとか?(途中休止期間あり)

現在陶器10町連合が存在し、その中に6町連合と4町連合が存在。

上之、辻之、北村、田園、高倉寺、鴬

が6町連合

 

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令和元年度北村だんじり

 

これが陶器のだんじりのスタイル。

似たスタイルのだんじり祭はいまではなかなか見られない。

上神谷地区の泉田中がかなり似ているが、同地区の他のだんじりは全ていわゆる岸和田のスタイル。

 

全て上だんじりで拡声器をつけているが基本的に、曳き唄のようなものは歌わない。

 農兵節や伊勢音頭を歌うことは一部ある

 

「ほ(お)いさ」

「そらよいと(こ)まかせ」「そらよいよいよい」

「そら○○じゃい」「そらよいよいよい」

を基本として大工方とひな壇の団長が拡声器で声を掛け合い、曳き手もそれに合わせる。

 

鳳地区の新在家の夜の曳行が少し似ている。

つじつじでやりまわしをするわけではなく、ゆっくりとだんじりを曳き、担い棒と後ろ梃子を使って前上げ、けつ上げをしながらゆっくりとだんじりを水平方向に回転する。

 

一昔前では陶器だけではなく、堺市の多くの地域、さらには堺市より南の地域でもこのスタイルが多かったと聞いている。

 

つまり陶器では一昔前の、岸和田のスタイルに多くの地域が移行していく前のだんじり祭の姿が残っていると言える。

 

そう考えると、なぜ陶器では岸和田のスタイルに移行していかなかったのか、なぜ他の地域では岸和田のスタイルを取り入れていったのか、非常に興味深くなって来たではないか

 

だが決して陶器が完全に独自のだんじり文化だけで今のだんじり祭が成り立っているわけではない。部分的に岸和田のスタイルを取り入れている

 

実はこのある意味不思議な(そう思っている方も多いだろう)様態の陶器のだんじり祭を紐解いていくと、自然とだんじり祭の移り変わりを知り、興味を持つことができる。

 

岸和田、泉州堺市、陶器のだんじり祭にいったい何が起きたのだろうか?

次回に続く.......